2010年12月14日
神様

宗教は自由であり
信じるものを神様に見出すことは
信じる心の強さによるとおもいます
私の母はクリスチャンです
幼い頃は世間を騒がせた一部の過激な宗教により
宗教を表に出すことはどこか社会から非難されたり
白い目でみられているような気分がありました
お昼寝の時間には聖書を読み聞かされ
お勉強といったらイエス・キリストの絵本をよむこと
大きくなるにつれ嫌気がさすほどになりました
ごはんの前はお祈りをして
ごはんの後もお祈りをする
いまでさえ、宗教を問わずにして
食べ物に感謝をする
「いただきます」「ごちそうさま」
がある文化にうまれたことに
誇りさえも感じるのに、その年のわたしにとっては苦痛の時間
目を閉じることさえもできなかったり
誰よりも「アーメン」を早くゆっていた気がします
でも、ひとつ目線を変えてみると
ブラジルの人もアメリカの人もチベットの人も
インドの人もハワイの人たちも
神様の存在を見出し、心の支えとしている様子を垣間見ます
その姿には、美しさが共存しているほど
母にとって、聖書やイエスの生き方は自分の道しるべになるようで
改めて聖書を読んでみると本当に意味深いことが書いてあります
簡単にいえば
嘘をついてはいけませんよ
盗みはいけませんよ
自分の利益の事だけを考えてはいけませんよ
相手のことを自分の事以上に考えましょう
とか、格言のような言葉が並んでいるわけです
そう、とっても大切なこと書かれているんですよね
幼い頃に教えてもらっていたのに私の中で
不発で終わっていることがたくさんあるなぁと
今さら反省しつつ実感しています
きっと、
知らず知らずのうちに誰かを傷つけていたり
自分の利益の事を考えてしまったり
大切なことを貫き通すことは簡単じゃないから
母も地球にいる神様を信じる人たちは
そんな自分をお許し下さいと許しを求めたり
1日を生きれたことに感謝をするのでしょうね
あんなに反対していた父も
母の思いに心を動かされたのか
寝る前に二人で聖書を音読しています
ぼけ防止とはぐらかしていますが
あの分厚い聖書を既に3回読んだそうです
目の悪くなってきた両親に虫眼鏡でも
プレゼントしたろかなと思うわたしでした
信じるものを信じる人と共有できることは
うれしーでしょうねー
Posted by muu at 10:20│Comments(0)
│自然